2015 シャサーニュ・モンラッシェ・レ・バトード アニェス・パケ

【2014 Chassagne-Montrachet Les Battaudes Blanc – Agnes Paquet】

2007年春、長年パケのワインの大ファンだった愛好家の友人と共同で購入した0.14haの自社畑、およびメテイヤージュで賃借している0.42haの畑より。平均樹齢15年。新樽率30%で12ヵ月間の熟成。「桁違いのミネラルに富むシャサーニュ・モンラッシェに畑を持つのが昔からの夢でした。特に、最南端のこの畑は、赤色の表土に重厚な粘土層というシャサーニュの中でも特異な土壌の畑で、醸造してみると期待をはるかに上回るミネラルが得られました」。底から力強く湧き上がってくるミネラルの旨味に圧倒される、長期熟成型のシャサーニュです。

>> アニェス・パケについて


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東京都港区麻布十番2-3-6
FLEG麻布十番primo 3F
TEL : 03-6435-3987
Instagram:https://www.instagram.com/azabu_bar_groom/
FB : http://www.facebook.com/Bar.groom
食べログ : http://tabelog.com/tokyo/A1307/A130702/13124112/
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オークセイ・デュレス村に長く続くヴィニュロンの家系、アラン・エ・ヴァンサン・クルーズフォン

オークセイ・デュレス村に長く続くヴィニュロンの家系で、戦後1949年に、ジェラール・クルーズフォンが畑を再興してドメーヌを設立しました。1970年より、2代目アランが自社ビン詰めを開始。そのワインの美味しさは口コミで評判となり、フランス国内や近隣諸国を中心に、多数のファンを獲得してきました。2001年より息子のヴァンサンが参画し、2015年、3代目として正式にドメーヌを継承しました。
地元オークセイ・デュレス、ムルソー、モンテリー、ヴィルネイ、ポマール、ボーヌなどに合計12ヘクタールの畑を所有し、その全面積で厳格なリュット・レゾネ栽培を実践しています。
「2001年にドメーヌで働き始めるにあたって、今日から畑が自宅だと思いなさい、と父に言われました。趣味も持たず畑仕事に人生を捧げ、“良いワインは良いぶどうから“を背中で示した父を尊敬しています。畑にいる父は、いつも笑顔で楽しそうでした。父の笑顔と畑。これが僕の心の原風景になっています」(ヴァンサン)。
畑の申し子としての彼の魂は、最近リニューアルされたドメーヌのホームページの中でも輝いています。手書きによる、ブルゴーニュのアペラシオンと斜面、土壌の関係の説明。畑仕事ひとつひとつの写真。すべてが必要にして十分な内容にまとめられていることも、彼の知性と良心を表していると思います。
お父さんとそっくりの、グローブのように分厚く大きな手。彼の思いはぶどう達にこそ伝わり、そして、その純麗な果実の味わい、土壌からたっぷりと吸い上げられたミネラルの旨味などを通じて、飲み手の心にも、確かに伝わってきます。

オスピス・ド・ボーヌの栽培家のひとりでもあった歴戦の名手、ドメーヌ・デ・プティ・シャン・ラン

1918年からムルソー村に続いた「ドメーヌ・ディアンヌ・レーヴ」(旧名「ドメーヌ・ボワイエ・モレ」)のディアンヌ・レーヴと、1910年からオート・コート・ド・ボーヌ地区のラ・ロシュポ村に続いた「ドメーヌ・フクラン」のジャン・リュック・フクランの夫妻は、「ドメーヌ・フクラン」の分割相続を機に両ドメーヌを統合し、2009年、ムルソー村に「ドメーヌ・デ・プティ・シャン・ラン」を誕生させました。
当主ジャン・リュックは、かつて「オスピス・ド・ボーヌ」の栽培家のひとりでもあった歴戦の名手。同じく醸造家である奥さんのディアンヌさん、そして2011年からドメーヌに参画し、いずれ両親の後を継いで醸造家の道を歩む意欲に満ち溢れた娘さんのヴィックさんとともに、妥協のないワイン造りを実践しています。
「ムルソーには素晴らしい造り手が何人もいますが、ワインに対する情熱では、村の誰にも負けないつもりです。ムルソーの神髄は、ミネラルにあります。樽香で素顔を覆い隠してしまうのではなく、本来の、本質的な美しさを表現したいのです」(ジャン・リュック・フクラン)。

伝統と革新、力強さと優しさが同居した無二のワイン、ジャン・タルディ

ジャン・タルディ・エ・フィスは、ブルゴーニュ地方きっての銘醸地ヴォーヌ・ロマネ村に本拠地を置き、創業者のヴィクトル・タルディから3代にわたって受け継がれている家族経営のドメーヌです。現在は、当主ギヨーム・タルディが2003年からワイナリーを引き継ぎ、高品質のワイン造りに日夜励んでいます。
近年は国内外に着実にファンが増え、コート・ドールのトップドメーヌとして評価されてきました。イギリス、アメリカ、カナダやヨーロッパ各国、そして日本と、生産の大半は世界中に輸出され、フランス国内では優良ワイン専門店とレストランが主な顧客となっています。Plaza Athénée(プラザ・アテネ)、Georges Blanc(ジョルジュ・ブラン)、Lameloise(ラムロワーズ)など名だたる3つ星店をはじめ多くの著名なレストランでオンリストされています。

《創業者ヴィクトル・タルディ》
ドメーヌとしてのタルディ家のはじまりは、ヴォーヌ・ロマネの隣のフラジェ・エシェゾーからでした。ワイン造りを始めたのは現当主の祖父にあたる、ヴィクトル・タルディで、当時は自らの畑を所有しておらず、1920年から1945年まで作業員として、ヴォーヌ・ロマネ村の名士カミュゼ家(現在のドメーヌ・メオ・カミュゼ)でワイン造りをしていました。そして第二次世界大戦後、このカミュゼ家とのメテイヤージュ(分益小作賃貸契約)がはじまり、ドメーヌ・タルディが誕生しました。
当時、カミュゼ家に畑を任されていたのは、ヴィクトル・タルディや、今では伝説のワインメーカーとなったアンリ・ジャイエを含め4名のみだったことは有名です。

《ドメーヌの名声を確立したジャン・タルディ》
1966年に、先代の後を引き継いだジャン・タルディは、ニュイ・サン・ジョルジュ1級オー・ブド、ヴォーヌ・ロマネ1級レ・ショームやクロ・ヴージョ特級を中心に、メオ・カミュゼ家とのメテイヤージュを継続しながらも、1981年からドメーヌの拡大に尽力し、パストゥグラン、シャンボール・ミュジニー(1984年)、ニュイ・サン・ジョルジュ(1989)、ヴォーヌ・ロマネ(1999)やエシェゾー特級(2002)を次々と入手し、ドメーヌを拡大していきます。
ワイン造りにおいては、メテイヤージュの関係もありメオ・カミュゼで働いていた際のアンリ・ジャイエからブドウ栽培とワイン醸造のノウハウを習得、偉大なワインの数々を世に送り出し、名実共に一流ドメーヌの仲間入りを果たしました。

《ドメーヌをけん引する、現当主ギヨーム・タルディ》
ジャン・タルディの息子ギヨームは、ボーヌの醸造学校、また、ディジョン大学で醸造学を学んだのち、オーストラリアで修行を積んだ生粋のワインメーカーです。
1997年、ギヨームは勉強を続けながらもドメーヌに参画する事を決意し、2000年にドメーヌに戻ります。そして偉大な父のもとで2001年からドメーヌの醸造を担当、2003年からはワイナリーの全てを引き継いでいます。
2007年のメオ・カミュゼ家とのメテイヤージュ契約の終了とともに、該当する畑がドメーヌ・メオ・カミュゼに返却されたので、ギヨームは、父が始めたドメーヌの拡大を継続しました。
フィサン(2006)、ジュヴレ・シャンベルタン(2007)、オート・コート(2008)やニュイ・サン・ジョルジュ1級オー・ザルジラ(2010)を購入し、ドメーヌのポートフォリオを強化しました。現在は4.65haを所有し、年間約22,000~25,000本を生産しています。
さらに近年、ヴォーヌ・ロマネの県道沿いに位置するドメーヌに隣接したピノノワールの区画を新たに購入し、ピノノワール100%のコトー・ブルギニヨンと言う新キュヴェにも挑戦しています。

ヴォーヌ・ロマネの歴史にその名を残す、ルロワも認める造り手、ペルナン・ロサン

気難しいと言われ、ペルナン・ロサン本人の言葉が日本に届くことはほとんど皆無でしたが、間違いなく彼はブルゴーニュの歴史に残る、偉大な造り手の一人です。
ペルナン・ロサンは1980年代には一時期物議を醸し出したギィ・アッカをコンサルティングに雇い、1990年代に入ってからはコンサルティングを雇わず自らの手でワイン造りを行いましたが、どの年代も総じて高品質なワインを造っていた事からフランス国内にも多くの熱狂的なファンを持ち、あのルロワも認める造り手でした。品質が高いと言う証拠にネゴシアンをやっている有名生産者はそのワイン、またはブドウの購入元を明かしませんが、かの有名なマダム・ビーズ・ルロワは1985年のラ・リシュモヌはペルナン・ロサンのワインを詰めたものだと公言しています。
高齢のために皆に惜しまれつつも2001年に引退し、所有していた畑、ドメーヌともにアンリ・ペロ・ミノに売却しています。

現在市場にあるものは、2000年までの希少なストックで、非常に入手困難となってしまいました。周囲の造り手が最新技術や農薬による効率を重視する時代、早くから減農薬(リュット・レゾネ)に取り組み、可能な限り完熟の状態で収穫するという、現代では当たり前ですが、当時にしては稀な考え方を積極的に取り入れていました。

DRCに勝利し、ワイン評論家の評価も高いオレゴン州を代表するワイナリー、ドメーヌ・セリーヌ

Domaine Sereneはオレゴン州の有名な葡萄栽培地Dundee Hillsの丘にある自社畑で、丹精込めて栽培した葡萄で麗しのPinot NoirとChardonnayをつくっています。畑の管理と醸造法は複雑味を持ち、凝縮してエレガントなPinot NoirとChardonnayを毎年つくり出すよう全ての資財はこの目標に集約されています。凝縮したフレーバーを得る為、非常に収穫量を抑えた栽培方法(全ての品種の平均収穫量を30hl/ha)を実施しています。全ての葡萄は手で収穫し厳しい選別が行なわれます。各畑の小区画のロットは別々に小さな開放型の醗酵槽で醗酵させ、フランスの産地の異なる厳選されたオーク樽で熟成をさせます。最初から最後の行程までワインはポンプを一切使わないでgravity flowで移動させ、人の手による介入は最小限に抑えています。Pinot Noirは14 – 18ヶ月樽で熟成させ、清澄も濾過もしないで瓶詰め時に澱引きを行います。Dijonクローンの自社畑のChardonnayはフランス産の小樽で醗酵し、シュル・リーで10 – 15ヶ月熟成させます。全てのワインは瓶詰後1年以上瓶熟をさせてから出荷します。

ソノマで成功の道を駆け上ったワイン界の伝説的人物2人が造ったワイナリー、アリシアン

《伝説のピノ・ノワール》
アリシアンの名には2通りの意味がある。ギリシャ語を起源とする言葉で、一方は“旅”を意味し、もう一方では“直観的な創造性”を意味する。

Alysian Wines(アリシアン・ワイン)は、2007年ソノマ伝説のワインメーカーGary Farrell(ゲイリー・ファレル)が長年の同志である栽培家ビル・ハンブレヒトとパートナーを組み、芸術品の域に達したピノ・ノワールの限定生産を目標とし、ウエストサイド・ロードのヒールズバーグに造ったワイナリー。 この2人はソノマで成功の道を駆け上ったワイン界の伝説的人物である。

【全米ワイナリー・オブ・ザ・イヤー】を10度受賞、栄誉殿堂入り生産者としてソノマNo.1、アメリカでも歴代3位タイ(歴代1位は12回の”シェーファー”、2位は11回の”ジョセフ・フェルプス”)という栄光に包まれた伝説の作り手、ゲイリー・ファレルのワイン。2007年アリシアン・ワインズ設立、2012年ファレル引退。

2人は2012年ヴィンテージを最後に2013年に引退、ビル・ハンブレヒトの孫であるウッディ・ハンブレヒトにワイナリーをバトンタッチした。 現在のアリシアンでは、この若いウッディが新メンバーを率い、全く新しい個性を持ったワイン造りを目指している。

《偉大な2人の創業者》
ゲイリー・ファレルは1970年代初頭からソノマでワインを造り続けている。学生だった頃、師と仰ぐ人物デイビス・バイラム(ロシアン・リバー・ヴァレーの畑名がついた最初のワインを作った人物)と出会い、1978年より彼のワイナリーの常勤ワインメーカーとなった。その後、ロキオリやリムリック・レーンのワインも造り、カリフォルニア・ピノ・ノワールを世界に知らしめる。1982年には自身のブランド、“ゲイリー・ファレル”を立ち上げ、数十年の間、ロシアン・リヴァー・ヴァレー産のピノはゲイリーの代表作となっていた。 2004年にファレルは自身の名を冠した“ゲイリー・ファレル”のブランド、ワイナリーを売却し、アリシアン設立へと始動する。

ビル・ハンブレヒトは著名な米国投資銀行家で、サイド・ビジネスであったブドウ栽培に夢中になり、シャローン・ワイナリーの株主になった。 その後ベルヴェデーレ・ワイナリーを設立し、リッジやセインツベリーのパートナーになり、90年代にゲイリー・ファレルと組んだのである。
ビルの戦略は、常に有能なワイン醸造家と組むことにあり、彼らの描くヴィジョンを実現させようとしてきた。

【現在のアリシアン】
ウッディ・ハンブレヒトは過去のスタイルと決別し、若い世代に向け発信する革新的なクラフト・ヴェルモット造りやワイン造りを行っている。

●クラフト・ヴェルモット
遥か昔の製法に遡って、誰にも真似の出来ないレシピとテロワールが産み出す独特の味わいの、カリフォルニア、ヒールズバーグで造られるヴェルモット。
ウッディ・ハンブレヒトが栽培し9ヶ月間樽熟成させたロシアン・リヴァー・ヴァレー産のシャルドネをベースとしている。 ワインはその後、ワイナリーの共同スタッフでヴェルモット造りのプロ、ヘザー・ホーキンスの手で酒精強化される。 彼女はアトランタやサンフランシスコを拠点に10年以上カクテル造りの経験を積んできたバーテンダー。酒精強化には地元のブドウから造られた芳香と風味豊かな蒸留酒に、ハーブやスパイスなど様々な成分を溶け込ませた自家製のチンキ剤を使用している。18種のチンキ剤と7種の植物は、ソノマの豊かな自然の象徴である。僅かな例外はあるが、ほとんどの成分はワイナリーの近隣地域から調達している。

【所有する自社畑の管理】
●グリスト・ヴィンヤード
ドライ・クリーク・ヴァレーの歴史有るヴィンヤード(68エーカー/27ha)
1895年に植えられたジンファンデルが存在し、ハンブレヒト・クローンとしてUCデイビス校に認定されている。
ジンファンデルが60%(1974年植樹)、ソーヴィニヨン・ブラン、プティ・シラー、ヴィオニエを栽培。

名だたるワイナリーが顧客
Ehren Jordan/エーレン・ジョーダン
Gary Farrell Winery/ゲイリー・ファレル・ワイナリー
Joseph Jewell/ジョセフ・ジュウェル
Orin Swift/オリン・スウィフト
The Prisoner/プリズナー
Joe Wagner (Camus Family)/ジョー・ワグナー
Kirk Venge/カーク・ヴェンジ

●フロードゲート・ヴィンヤード
ロシアン・リヴァー・ヴァレーの中心地ミドル・リーチにある、ハンブレヒト家所有の歴史ある畑。有名なリッチー・ヴィンヤードとキスラーに隣接している。
1971年に植えられたピノ・ノワールはアメリカ大陸で最も古いものの1つ。