2002 ボランジェ R.D.

【2002 Bollinger – R.D.】

《R.D.という名の伝説の誕生》
戦時下のフランスで寡婦としてメゾンを守り抜いたマダム・ボランジェは、戦後の厳しい環境に置かれながらも、時代の一歩先を行く大胆な挑戦を好む女性でした。1960年代の半ば、多くのシャンパーニュ・メゾンがユニークな形のボトルの開発に勤しんでいた頃、マダム・ボランジェは、「ワインそのもののクオリティこそが、ボランジェのプライドである」というゆるぎない信念で、独自のシャンパーニュのスタイルと味わいの開発に力を注ぎました。そして、彼女の閃きから生まれたR.D.は、後のシャンパーニュ業界に偉大な影響を与える伝説的な存在となったのです。

オールド・ヴィンテージが流行していなかった1967年、デゴルジュマン(澱抜き)したばかりの1952年ヴィンテージを販売するというマダム・ボランジェのアイディアは驚きをもって受け止められました。「最近デゴルジュマンした」という意味のフランス語「レサマン デゴルジュ」と、デゴルジュマンの日付をラベルに表示するという大胆なアイディアによって、R.D.のユニークなスタイルは、ボランジェのシャンパーニュとクラフツマンシップの象徴として知られるようになりました。

《「時」がもたらす、ふたつの魅力》
ボランジェ・スタイルのシャンパーニュを支える柱のひとつ「時」。
最良のタイミングに達するまで忍耐強く待ち、じっくりと熟成させる時間。
ヴィンテージ特有のアロマのキャラクターを最大限に引き出すためには、このゆったりとした時間が欠かせません。澱の上での長期熟成がもたらす幾重にも複雑に重なるワインの香りは、贅沢な時間の産物です。さらに、ワイン醸造において、完璧な熟練の技が求められる決定的なもう一つの時間、それがR.D.の最大の鍵であるデゴルジュマンのタイミングです。静寂の中で眠るシャンパーニュを目覚めさせるデゴルジュマンは、ワインの香りのポテンシャルを最大限に引き出しつつ、どこまでもフレッシュな味わいをもたらすための最も重要な瞬間なのです。

>> ボランジェについて


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東京都港区麻布十番2-3-6
FLEG麻布十番primo 3F
TEL : 03-6435-3987
Instagram:https://www.instagram.com/azabu_bar_groom/
FB : http://www.facebook.com/Bar.groom
食べログ : http://tabelog.com/tokyo/A1307/A130702/13124112/
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妥協のない哲学と先見の明を持ったヨーゼフにより、ランスで創業されました、クリュッグ

メゾン クリュッグは1843年、妥協のない哲学と先見の明を持ったヨーゼフ・クリュッグにより、ランスで創業されました。シャンパーニュの本質は歓びであるという信念のもと、ヨーゼフが夢見たのは、気候に左右されることなく毎年最高のシャンパーニュを造ること。彼はブドウ畑の特徴を細部にわたって観察し、ひとつひとつの区画とそこから生まれるワインの特性を見極めると同時に、さまざまな年のリザーブワインで構成される膨大なライブラリーを築き上げることで、その夢を実現しました。

シャンパン造りに対する極めて独創的なアプローチを貫いたヨーゼフは、ヴィンテージという概念を超えた最高に芳醇なシャンパーニュを作り上げることを目指しました。そして、すべてのシャンパーニュの個性を等しく尊重するという理念のもと、クリュッグが創業されました。
以来、メゾンは6世代にわたってヨーゼフの夢を受け継ぎ、そのビジョンとサヴォアフェールに磨きをかけています。

《唯一無二のシャンパーニュ》
シャンパーニュの本質は歓びであると理解していたヨーゼフ・クリュッグは、気候に左右されることなく、毎年最高のシャンパーニュを造ることを夢見て、1843年、自らの名を冠したシャンパーニュメゾン クリュッグを創業。すべてのシャンパーニュの個性を等しく尊重するメゾンの理念により、ヨーゼフはシャンパーニュ造りに大きな可能性をもたらしました。1848年、ヨーゼフはダークチェリー色の手帳に自らの哲学を記しています。

メゾン クリュッグは、1843年、その年の収穫を終えた11月に創業されました。そしてクリュッグが初めての収穫を迎えた1844年、ヨーゼフ・クリュッグは自らの夢を実現するシャンパーニュを初めてブレンドしました。こうして生まれたのがクリュッグ グランド・キュヴェです。
翌1845年には、その年の収穫を中心にブレンドし、クリュッグ グランド・キュヴェの再現となるファーストエディションが造られました。このようにして一年に一度、比類のないブレンディングを経た新たなシャンパーニュが唯一無二のボトルとして生まれ、クリュッグ グランド・キュヴェの新しいエディションが世に送り出されます。エディション・ナンバーは、この再現が行われた回数を示すもの。すなわち、メゾン クリュッグ創業者の夢がこれまでに何度繰り返されてきたかを伝えています。
ブレンドを終えたシャンパーニュのボトルは、およそ7年間、クリュッグのセラーで熟成されます。

《個性こそ、サヴォアフェールの神髄》
気候に左右されることなく、毎年最高のシャンパーニュを世に送り出すという夢を抱いた創業者ヨーゼフ・クリュッグ。それを成し遂げるためには、ひとつひとつの区画に最大限の注意を払うことが欠かせないという信念を生涯持ち続けました。
ヨーゼフはヴィンテージという概念を超える最高品質のシャンパーニュを生み出そうとしました。彼が構築したリザーブワインのコレクションは、その後6世代にわたって進化し続けています。現在、ライブラリーには、区画ごとの個性を豊かに表現した150種類ものワインが貯蔵されています。
クリュッグの卓越した技術の礎には、個性を重んじる理念があります。言い換えれば、各区画で収穫されたブドウを優れたワインに変え、ブレンドの前にその個性を十分に引き出す技術のことです。
クリュッグの醸造責任者はその年の作品をより豊かなものとする区画のワインを見極めます。求める基準に達さないワインは取り下げ、将来のブレンドのためのリザーブワインとして貯蔵します。

ジュヴレ・シャンベルタン村のビオディナミ生産者、ジャン・ルイ・トラペ

1868年から6世代にわたってジュヴレ シャンベルタンでワイン造りを続けているこのドメーヌは、代々少しずつ畑を増やしていき、現在では13haの畑を所有しています。現当主のジャンルイ氏は物腰柔らかく穏やかな人物ですが、畑の事を語る時は非常に情熱的な一面も見せてくれます。1996年からビオディナミを導入して自然を最大限に尊重したワイン造りを行っています。

畑の手入れはビオディナミで化学肥料や除草剤は一切使用していません。ジャン ルイ氏の「ビオディナミにおいて、人間の役割は葡萄が安定して育つように支えてあげることが大事で、畑仕事と選別をしっかりやれば、あとは葡萄が勝手に良いワインになるように働いてくれる。」という言葉の通り、クォーツ(水晶)の粉末を定期的に畑に撒くことで土壌の活性化を促し、植物のエネルギーを引き出して病気に負けない木を育てることを目指しています。葡萄の木の仕立ては片翼式ギュイヨ、コルドン ロワイヤルで春に厳しい摘芽を行い、凝縮した葡萄のみ収穫しています。樹齢も高いものが多く、植え付けも1ha当たり約12000株以下にし、収量を抑えることによって品質のレベルを高める努力をしています。

収穫は全て手摘みで行い、畑と醸造所でそれぞれ選別し、醸造所では除梗前の房の状態と除梗後の粒の状態での2度に渡る選別が15人で行われます。除梗率はヴィンテージやアペラシオンによって変わりますが約50%、ステンレスタンクで2~3日間低温浸漬を行い、3~4週間かけてゆっくりアルコール醗酵をさせ、序盤は櫂入れを行って後半は液循環のみに切り替えていきます。空圧式圧搾機でプレスした後にワインは樽へ移され、樫樽で15~18ヵ月熟成されます。新樽率はヴィンテージにもよりますがヴィラージュ物以下は20~30%、1級クラスは40%、特級クラスは50%となっています。

僅か2haの畑から生み出されるポムロルの奇跡、シャトー・ル・パン

1980年代に彗星のごとく登場したボルドー右岸のシンデレラ・ワイン。多くのワイン評論家や専門家が絶賛する、ボルドーで最も高価なワインの一つです。

シャトー・ル・パンはボルドーにあるドルドーニュ川の右岸、ポムロールの丘の中心部にあります。シャトーとしての歴史は浅く、1979年がファースト・ヴィンテージで、当時のワインの価格は約100フランでした。これは、同じティエンポン家が所有する隣の「ヴュー・シャトー・セルタン」よりも安価な位置付けでした。

しかし、1982年のワインが専門誌ワインアドヴォケイトで100点満点(パーカー・ポイント)を獲得すると、一気にスターダムを駆け上がり、生産量の少なさも手伝って、価格は高騰、一時期は同地区のスター・ワイン「シャトー・ペトリュス」を凌ぐ人気と価格にまでなりました。

これがいわゆるシンデレラ・ワインやガレージ・ワイン・ブームのきっかけになったといわれています。

シャトー・ル・パンが生まれる前、1924年~1979年まで、この土地とメゾンは、マダム・ロービーが所有していました。彼女は、収穫したブドウを、バルクワインとしてネゴシアンに販売していました。このバルクワインは、同地域内の他のワインとブレンドされ、ネゴシアン名で販売されていたと言います。

1979年、ベルギーのジャック・ティエンポンがこの畑とメゾンを購入し、ワイナリーの近くで成長する孤独な松の木にちなみ「Le Pin(松の木)」と名付けました。

しかし、当初のル・パンの畑やメゾンは貧弱な状態で、これを再建するには大きな投資が必要でしたが、そのような大きな投資ができる資金は無く、節約の為にティエンポン家が他に持っていたワイナリー、ヴュー・シャトー・セルタンで使った中古の樽でル・パンを熟成させようと考えました。また、二次発酵もこの樽を使わなければなりませんでした。これにより、自然発生的なマロラクティック発酵を行えたのです。

この偶然により、シャトー・ル・パンはボルドー右岸で最初にマロラクティック発酵を行った生産者になりました。

この方法は、単に拘りのプロセスや味わいの為に行ったのではなく、別の選択肢がなかったために、そうせざるを得なかったというのが正しい表現です。しかし、この工程が、シンデレラ・ワインを生み出し、後に多くのワイン・メーカーがこぞってこの手法を取り入れています。

ジャック・ティエンポンが1979年に購入した畑は1.6haでしたが、近接する小さな土地を購入し、ル・パンの区画は2haとなりました。この小さな区画のワインが後にシンデレラ・ワインと呼ばれ、世界中のワイン・ファン垂涎の的となることなど、誰も想像できなかったでしょう。

ティエンポン家は、1921年にシャトー・トロロン・モンドを購入し、1924年、ヴュー・シャトー・セルタンを購入しました。しかし、1934年、4年連続でブドウに病気が蔓延して収穫が激減し、これに加えて金融危機が襲い、残念ながら、シャトー・トロロン・モンドを手放しました。

現在、ジャックは、女性初のマスター・オブ・ワインになった妻フィオナと、いとこのシリルと共に運営しています。

ル・パンの区画は2ha。ポムロールの丘の中心で、土壌は酸化鉄が堆積した砂利と砂を多く含む粘土です。砂利は深く、場所によっては3メートルに近い厚さになります。

ブドウの平均樹齢は38年、メルロー100%で、いくつかのプロットにはカベルネ・フランも植えていますが、これは、ル・パンにはブレンドされません。

ブドウの樹は1ha辺り6,000本と高い密植で栽培され、平均収穫量は30~35hlと低い収穫量制限を課していて、パワフルな果汁の肉厚さが伺えます。収穫は全て手摘み、ステンレスタンクで発酵。熟成は新樽で行います(新樽比率100%)。約18か月の熟成の後、無濾過でボトリングされます。

生産量は年間約7,000本と極少量で、これが大きな価格高騰の原因となっています。

また、このような希少性と高価な価格から偽造ワインも多く、特別な、信頼できるルートがないと、本物で品質の高いル・パンを入手することは不可能だといわれています。

現在、ル・パンはこのような偽造を防止するため、スイス製の紙にエチケットを印刷し、UVライトを当てると、特殊な模様が表示されるようにしています。この秘密の模様は毎年変更されます。特に、ル・パンのような高価なワインは、投機商材としても使われるため、真偽の判断が重要です。

「真に完成されたシャンパンとは、シャンパン単独で飲んで感動できるシャンパン」、ルプルー・プネ

この生産者をはじめ、特にグランクリュのRMで高品質のシャンパンを造っているところは、ヨーロッパ中の個人のシャンパン愛好家からの予約注文で常に完売状態というところが多く、また、「安心してシャンパン造りに打ち込めるし、それで良し」とする生産者がほとんどです。異国への輸出などもってのほかで、取引打診の電話をしてもすぐ切られてしまいます。
彼らがその素晴らしい作品を、美味しいレストランで飲んでもらいたい、世界中の人に味わってほしいと考えるようになるきっかけは、ほぼ間違いなく、世代交代です。
「ルプルー・プネ」の創業は1660年、RM設立は1929年。モンターニュ・ド・ランス「北側の2巨頭」ヴェルジーとヴェルズネイに計6.5ヘクタールもの畑を所有する、名門中の名門です。3000人以上のリピート顧客を持つ、絵にかいたような「交信不能生産者」でしたが、2007年に、実力と意欲を併せ持った8代目フランソワ・バルボサが継承したことで、ついに海が割れ、道が開けました。
「真に完成されたシャンパンとは、シャンパン単独で飲んで感動できるシャンパンです」(フランソワ・バルボサ)。
彼の作品は非常に繊細・静的な味わいで、巨匠ピアニストが最弱音で紡ぐ旋律のように、しっとりと心に染み込んできます。

フィロソフィーは「本物のブラン・ド・ブランを造ること」、セバスチャン・ダヴィオー

シャンパーニュの17のグラン・クリュ村のひとつ、シュイィ村に1900年頃より続くぶどう栽培家で、1960年に現容のRMとなりました。以来、大手メゾンへのぶどう販売を中心に細々と自社ビン詰めを行っていましたが、2004年、意欲と才気に溢れる4代目セバスチャン・ダヴィオーの参画によって、新しいステージへ移ることになりました。
参画初年度から実質ビオロジックの極めて厳格なリュット・レゾネ栽培を実践して畑の再生を成し遂げた彼が、次にこだわったのはプレス機でした。「ワインの醸造で最も重要な工程はプレシュラージュです」という彼は、ジャン・マルク・セレックも導入して話題となったコカール社製の最新式重力式プレス機を導入。「このプレス機の使用は品質の証であり、僕の新しいラベルにもデザインしました」。
フィロソフィーは、ずばり「本物のブラン・ド・ブランを造ること」。
「他のコート・デ・ブランの村々と比べて、シュイィはミネラルの深みにおいて、クラマンは良質の酸において秀でています。平均樹齢50年のヴィエイユ・ヴィーニュが、それらの美質をさらに顕在化します。そして、最低4年間ビン熟成させることが僕の流儀です。今後は、一部小樽による発酵も行っていく予定です」(セバスチャン・ダヴィオー)。
2013年に正式にメゾンを継承したセバスチャンは、パッケージを一新し、栽培・醸造の仕事の合間に少しずつ販売活動をはじめています。しかし早くも、「Gault & Millau Guide Champanges」をはじめとする錚々たる現地ワインメディアの注目が集まっており、新たなるスターの誕生を予感させます。

ヴォーヌ・ロマネの地に根差した家族経営ドメーヌ、ミシェル・ノエラ

19世紀設立のドメーヌ。現在は5世代目のアランとジャン・マルク、6世代目のソフィーとセバスチャンによって運営されています。1989年にミシェル・ノエラ氏の後をアランとジャン・マルクが継ぎドメーヌ・ミッシェル・ノエラを立ち上げました。今日では、6世代目であるアランの娘ソフィーとジャン・マルクの息子セバスチャンの役割が大きくなってきています。ソフィーはワイン&スピリッツの国際ビジネスの分野でMBAを取得、父アランと共にセールス・マーケティングを担当しています。ソフィーがドメーヌに参画するまでは英語を話せるスタッフがいなかったため輸出はあまり行っていませんでしたが、今は世界市場も視野に入れたマーケティングを展開しています。セバスチャンはブドウ栽培と醸造学を学び、畑仕事を担当。家族全員で力を合わせ、ワイン造りを行っています。

《現在のドメーヌを統括する実力派オーナー》
父であるミシェル・ノエラ氏よりドメーヌを引き継ぎ、現在は主にドメーヌ全体の運営を統括しています。先代から引き継いだ畑を守りながら、ドメーヌを徐々に拡大し2009年には新たな醸造設備を新設。家族経営ながら27haの畑を管理するやり手のオーナーです。

《ワイン&スピリッツの国際ビジネスの分野でMBAを取得。さらなるドメーヌ発展を導く6代目!》
ソフィーはワイン&スピリッツの国際ビジネスの分野でMBAを取得、2012年にドメーヌの運営に参加します。主にドメーヌのマーケティングを父アランと共に担当し、ドメーヌの発展に貢献しています。今までドメーヌには英語の話せるスタッフがおらず、輸出市場に大きく繰り出すことはありませんでしたが、ソフィーのドメーヌ参加を契機として輸出に乗り出している最中です。家族経営ドメーヌなのでもちろん醸造にも携わっています。

《家族で目指す、豊潤で複雑な果実味を持つフィネス溢れるワイン》
ドメーヌ・ミシェル・ノエラは、家族経営のワイナリーで伝統的な手法を大切にしています。ブルゴーニュワインは熟成により素晴らしさをさらに深めると考え、数十年熟成可能なワインを造っています。目指すワインは豊かで複雑な果実味をもち、さらにフィネスに溢れたスタイルです。

《受け継ぐ伝統と最新の設備による理想的な醸造》
ドメーヌ・ミシェル・ノエラの設備は大きく二つに分かれます。一つは2009年に国道74号線沿いに新設された醸造施設、もう一つはフォンテーヌ通り沿いの熟成用のセラーです。収穫から瓶詰までの行程はすべてノエラ一家の手で行います。
収穫は手摘みで丁寧に行い、収穫したブドウは全て除梗し温度管理可能なタンクに投入します。その後4日間のコールドマセラシオンを行い、ピジャージュとルモンタージュを日々行う中で醗酵が自然に始まります。18-20日ほど経つとアルコール発酵は終了。オーク樽に移し、セラーにて14-16カ月間樽熟成を行います。瓶詰まで、全てノエラ一家の手で行います。先代から受け継いできた技術と最新の設備を用いて家族で力を合わせてワイン造りを行っています。