豊富なバックヴィンテージを全て失ったシャトー、シャトー・シサック

1952年2月に、1週間以上に渡って-21度を記録した大寒波により、オー・メドックの多数のブドウが枯死することとなります。ルイ・ヴィアラールは、これを自らの理想を具現化するチャンスと捉え、彼自身がテロワールと生まれるワインに最適と考える、カベルネ・ソーヴィニヨン75%、メルロ20%、プティ・ヴェルド5%にブドウを植え替えます。この決断が功を奏し、1972年、17シャトーしか認定されなかったクリュ・ブルジョア・エクセプショネルとして認められることとなりました。

またシサックは、2004年ヴィンテージからプリムール(先物取引)やネゴシアン経由での流通を廃止1つの市場につき1インポーターという独占契約を結び、ルイ・ヴィアラール社から直接販売を行っています。そうすることでヴィンテージによる価格の不安定さを抑えられ、最終的にどこで消費されているかも分かり、ブランド価値を構築しやすくしています。ただ残念なことに2006年大火に見舞われ、所有していた豊富なバックヴィンテージを全て失うこととなりました。