【ロマネ・コンティ】
4世紀にやって来たサマリア出身のクリュニー派の伝道師たちが、紆余曲折を経て、9世紀末にブルゴーニュ地方のヴェルジの丘にサン・ヴィヴァン修道院を設立します。
1131年にこの修道院は、ブルゴーニュ公ユーグ2世からヴォーヌとフラジェの村にある領地の全てを寄付され、後にロマネ・コンティとなる『クルー・デ・サンク・ジュルノー』を含む畑を、16世紀後半まで所有します。
1584年、その畑の『ル・クロ・デ・クルー』という区画がクロード・クザンに売却された際、現在の他のロマネと名のつく畑から切り離されたとなっています。その後、畑はフィリップ・ド・クローネンブールの手に渡り、1651年に初めて“ロマネ”の名が冠せられます。
1760年、代が替わり、アンドレ・ド・クローネンブールはこの畑を、ブルボン朝のルイ=フランソワ1世(コンティ公)に総計92,400リーブルで売却します。この10年前に売却された畑“クロ・ド・ベーズ”の約10倍の値段であることからも、このひとかけらの土地がどれほどの価値を有していたかを物語っていますね。
この新しい持ち主のもと、畑は“ロマネ・コンティ”と名乗るようになり、そのワインはコンティ公と友人のみが愉しめるものとなり、市場からは姿を消してしまいます。
コンティ公は1776年に逝去し、息子のルイ・フランソワ・ジョゼフに相続されますが、フランス革命により1793年政府に押収されてしまいます。
その後幾人かの手を経て、1869年、ネゴシアンでディジョン駅の食堂の所有者でもあったポール・ギュイモの手に渡るが、同じ年のうちにジャック=マリー・デュヴォー=ブロシェに畑を売却してしまう。そして、この人物こそが現在のDRCの共同経営者のヴィレーヌ家の祖先であります。
ジャック=マリー・デュヴォー=ブロシェの三代あとの娘が、1906年エドモン・ゴダン・ド・ヴィレーヌと結婚し、畑の所有権はエドモン・ゴダン・ド・ヴィレーヌと、その義理の弟のジャック・シャンボンに分かれます。
シャンボンは1930年代の不況とそれに続く戦争の後、1942年に持ち分の畑を手放そうとします。この際にドメーヌは会社組織となり、シャンボンの持ち分をアンリ・ルロワが買い取りました。
それ以来今日に至るまで、このドメーヌはヴィレーヌ家とルロワ/ロック家の共同所有、経営になっています。
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