事実上の酸化防止剤無添加を実践するモレの伝統的大ドメーヌ、ポンソ

最初に登場するポンソ家の人物はウィリアム。サン=ロマン村の出身でしたが、普仏戦争での兵役から戻った1872年にモレ・サン・ドニ村に住むことにし、クロ・デ・モン・リュイザンを含む畑を買いました。

1920年に後を継いだのは、従兄弟で名付け子でもあったイポリット・ポンソで、その息子ジャン・マリーも1942年から家業に加わります。ジャン・マリーは長年モレの村長を務めながら1958年から現当主の息子ローランが後を継ぐ1980年代前半まで蔵を切り盛りしました。

1872年の創設当初から、ポンソ家はワインの一部を元詰めしていましたが、自家消費用と経営するレストランで使っていただけでした。(ポンソ家は、北イタリアのすべての駅にあるビュッフェの経営権を持っていた)イポリットが全てを元詰めする決断をしたのは1934年のことでした。

ローラン・ポンソはたいへん個性的なアプローチを採っています。殺虫剤を使うことはないが、有機農法と名乗ることはない。月や星の運行と植物生命のリズムに気を配っているが、ビオディナミ実践者と称されることを好まない。ぶどうが摘まれるとほんの少しの亜硫酸をふりかけるが、その後は醸造中、熟成中も亜硫酸は用いない。何かはっきりした問題がない限りは瓶詰め時ですら添加しない。問題のあるぶどうは畑で取り除くため選果台はなく、健全なぶどうはほとんどが除梗され、発酵の始まりも終わりも自然まかせ。

また、ローラン・ポンソは、1982年が初ヴィンテージのはずのクロ・サン・ドニのもっと古いヴィンテージのボトルがオークションに出品されたことをきっかけに、国際市場で見つかる古酒の偽ワインの撲滅にも力をいれている。


モレ・サン・ドニにおける新興の大ドメーヌがデュジャックなら、伝統的大ドメーヌはポンソであろうその歴史はデュジャックより100年も遡る。現当主はグランゼコールのHEC(高等商科大学校)を卒業したローラン・ポンソモレ・サン・ドニ村長も務めたジャン・マリー・ポンソの息子である。

【栽培】
ポンソではブドウ栽培もワイン醸造も人の介入を可能な限り排除ビオロジックともビオディナミとも異なるアプローチの自然栽培をとる剪定をコルドン・ロワイヤにすることで樹勢を抑え、低収量を実現。腐敗果が収穫箱の中に混ざるだけで健全果に影響を与えるとして、選果は必ずブドウ畑で行う手摘みは当然だが、摘んだ房はまず昔ながらの篭に入れ、それを最大17キロ入りの箱に移した後に醸造所へと運ぶ。醸造所は4層構造のグラヴィティ・フローでポンプは一切使わない

【醸造】
醸造に関しては「決まりのないことが決まり」とローランブドウの状態はヴィンテージによって異なるため、その年々に応じた対応をとる。梗を残すか残さないか、ピジャージュの頻度はどうするか、そうしたことに一切決まりはない一方、発酵容器に使い古した木桶を使用し、熟成用の小樽も古樽(5〜20年もの)、酸化防止剤である亜硫酸の使用は極力抑えるという原則は毎年一貫している亜硫酸はまだ発酵の始まらない破砕前に小量加えるものの、その後は窒素ガスや炭酸ガスなどの不活性ガスでワインを保護する瓶詰め時にさえ亜硫酸の添加はない

クロ・ド・ラ・ロッシュ、クロ・サン・ドニ、モレ・サン・ドニ1級クロ・デ・モン・リュイザン・ブラン。これらモレの珠玉のクリマがポンソを代表するワインだが、ここ10年の間にラインナップが大幅に増えた。シャルム・シャンベルタン, クロ・ド・ヴージョ、コルトン・シャルルマーニュ、コルトン・ブレッサンド、シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ……。じつに豪華絢爛である。

ローランはことのほかアリゴテにご執心で、かつてシャルドネやピノ・ブランも混ぜられていたクロ・デ・モン・リュイザン・ブランは、今日、1911年に植樹されたアリゴテの古木100%から造られているとかくシャルドネよりも劣ると見られがちなアリゴテだが、収量を抑えればこれほど見事なワインになるのかというよいお手本だ。

ポンソのワインは非常に個性的で、若いうちはとくに理解しずらい印象を受ける。しかしながら、理想の状態で熟成させたワインは、驚くべき色香を放ち、その状態は20年も30年も保たれる。まさに投資に値するワインといえるだろう。