毎日気軽に飲める美味しいカリフォルニアワイン、スペルバウンド

マイケルの息子でモンダヴィ家の4代目ワインメーカー、ロブが立ち上げたワイナリーです。毎日気軽に飲める美味しいカリフォルニアワインを造りたいという情熱から生まれました。カリフォルニアのワイン造りの歴史や伝統を尊重し、特にプティット・シラーに力を注いでいます。“スペルバウンド(魔法にかかった)”のイメージに合わせた神秘的な月のラベルが印象的で、飲んだ人を虜にしてしまう魅惑的なワインです。

【醸造】
100%ステンレス・タンクで発酵。アメリカン・オーク、フレンチ・オークで熟成。最大限に熟したブドウを得るため、数値だけでは判断せず、実際に畑のブドウを食べて収穫のベストタイミングを 決定しています。豊かなテクスチャーと濃いダークフルーツのフレーバー、わずかなオークとスパイスのニュアンス が特徴的です。杉やタバコのアロマとタンニンが溶け合い、口の中で心地よく広がります。ワイン単体で飲んで頂い ても、お好きなお料理と合わせて頂いても楽しめるスタイルです。

カリフォルニアワインでアメリカンドリームを体現した男、J.ロアー

1960年代の後半、ジェリー・ロアー氏はカリファルア全土の葡萄産地の調査を行いました。結果、モントレー郡はアロヨ・セコA.V.A.に、1972年から1973年にかけて280エーカーもの規模に渡って植樹を行いました。1974年にワイナリーが完成し、ここにJ.ロアーの歴史がスタート。1988年にはパソ・ロブレスに2,000エーカーを越える土地を買い増し、現在彼らの所有する畑は3,000エーカーにも及ぶ巨大ワイナリーに成長。これらがジェリー・ロアー氏一代のうちに行われ、現代のアメリカン・ドリームを成した造り手の1つとして知られています。

セントラルコーストAVAで、過去に最も高い評価を得たカベルネ、スミス&フック

1970年代半ばにヴィンヤードを探していたニッキーはモントレーのサンタ・ルシア・ハイランズに、馬の放牧していたスミス・ランチと、何世代にも渡って牛の牧場であったフック・ランチを見つけブドウを植える決心をしました。そこでニッキーは彼らに敬意を払いスミス&フックの名を付けたワインをリリース。大変に高い評価を得たファースト・ヴィンテージの1980年以降、絶えることなくそのワインを造り続け、パッケージを一新した2006年ヴィンテージは引き続き、土地の遺産とニッキーのパイオニアスピリットを表現しています。
スミス&フックで高い評価を得た後、彼のファミリー名を冠したハーン・ワイナリーを設立しています。

大塚製薬が所有するカリフォルニアの名門ワイナリー、リッジ

リッジ・ヴィンヤーズは、米国カリフォルニア州を代表する名門ワイナリーで、1986年に大塚製薬株式会社が取得した。その名声は米国内のみならずヨーロッパにも轟いており、世界最高峰のワインを安定的に産み出す醸造所として、絶え間ない賞賛を浴び続けている。

ワイン造りのアプローチは、伝統的な手法を重視し、ブドウ栽培、ワイン醸造の両面において極力自然なプロセスを導いてやるというもの。不世出の天才醸造家にしてリッジの象徴でもある総帥ポール・ドレーパーは、40年以上にもわたって、極めてバランスに優れ、長い寿命を持つ卓越したワインを造り続けてきた。リッジは、単一畑が持つ「その土地らしさ」の表現にも、創立以来一貫してこだわり続けており、ワインのほとんどに単一畑名が冠されている。

【歴史】
リッジ・ヴィンヤーズのはじまりは、1885年まで遡る。この年、医者のオセア・ペローネが、モンテベロ・リッジ(尾根)の頂上近くに180エーカーの土地を買ったのだ。ペローネは、サンフランシスコのイタリア人社会で大立者となった人物で、斜面を段々畑にしてブドウ樹を植えた。そして、周辺で採掘される石灰岩を用いて「モンテベロ・ワイナリー」を建て、その名を冠したワインを1892年に初めて生産している。セラーの建物は独特な設計で、山の斜面を掘って三階層にしていた。ここが今も、リッジの生産施設となっている。標高800メートルの高さにあるこの建物の周囲に広がるのが、「アッパー・ヴィンヤード」と呼ばれる畑である。

1940年代になると、神学者のウィリアム・ショートが、ペローネの畑のすぐ下にあったワイナリーとブドウ畑を購入する。畑は打ち捨てられた状態だったが、ショートは1940年代の後半に、いくつかの区画にカベルネ・ソーヴィニョンを植えなおした。そして1959年。今日「ミドル・ヴィンヤード」と呼ばれているショートのブドウ畑から、新しい所有者となったデイヴ・ベニオンと三人の共同経営者(全員がスタンフォード研究所の研究員)たちが、一樽の四分の三しかない「自社畑産カベルネ」を造る。このモンテベロ産カベルネは、同時代のカリフォルニアワインの中でもトップグループに入る出来映えだった。同じ畑から1960年、1961年に生産されたワインも、その優れた品質と際立った個性の両面で、1959年産に匹敵するものであった。自信を持った共同経営者たちは、1962年の収穫に間に合うよう、ワイナリーを再設立する。

最初のジンファンデルが生産されたのは、1964年のことである。山の斜面を下ったところにあった、19世紀末植樹の小さな畑のブドウが使われた。次にジンファンデルが造られたのは1966年で、ガイザーヴィルの初ヴィンテージである。創立共同経営者たちは、家族ぐるみでモンテベロの斜面を開墾し、畑の面積を15エーカーから45エーカーまで広げていく。ワイン造りは週末だけの仕事だったが、出来上がったワインはくっきりとした産地個性と、前例がないほどの強靭さを備えていた。1968年には年間生産量が3,000ケース弱にまで増え、そして1969年、ポール・ドレーパーが共同経営者として新たに参画する。スタンフォード大学で哲学を修めたドレーパーは、チリの海岸地域におけるワイナリー建設プロジェクトから離れ、カリフォルニアに戻ったところであった。彼は実践の中で学んだ醸造家であり、正規の醸造学教育は受けていない。だが、ドレーパーの持つ高級ワインに関する知識と伝統的な手法によって、リッジがカリフォルニアの地で先鞭をつけた、「人手を加えない」というシンプルなアプローチがさらに強められていく。ドレーパーの指揮のもと、老朽化していたペローネのワイナリー(前年に取得)が改装され、最高のブドウ畑が貸借または購入された。かくして品質が高いレベルで安定し、リッジのワインは国際的な名声を得るに至ったのである。生産量の大半を占めているのはカベルネとジンファンデルで、他に若干量のシラー、グルナッシュ、カリニャン、ペティト・シラーなどがある。赤ワインのワイナリーとして知られるリッジだが、1962年以来、限られた量のシャルドネも生産し続けている。

ソノマ郡にあるリットン・スプリングスの畑も、1991年にリッジの自社畑となった。20年にわたってそのブドウでワインを造ってきた経験から、卓越した土地だと確信したからである。ガイザーヴィルの畑でも、リッジは40年以上ワインを造っているが、こちらもまた適地適品種の驚くべき一例であろう。リッジは、禁酒法撤廃後の60年代前半、カリフォルニアのワイン造りが現代化した時代に設立されたワイナリーではあるものの、クノロジーよりも自然と伝統に重きを置いている我々のアプローチは正攻法である。すなわち、強い風味をたたえたブドウを探す、必要なときしか人手を加えない、果実の際立った個性と豊かさをワインへともたらす、といったものだ。

ワールドクラスのピノとシャルドネを造りたい、フリー・ストーン

“ワールドクラスのピノ・ノワールとシャルドネを造りたい。” ジョー・フェルプスは長い間、理想の土地を探し続け、ついに冷涼な気候とゴールデンリッジという土壌をもつフリースートン地区へとたどり着きました。
1999年にフェルプス家とマネージメント・チ-ムが、ソノマコーストの小さな町、フリーストーンの近くに約100エーカーの土地を購入したことが、このワイナリーの始まりです。フリーストーン、クォーター・ムーン、ファーガソンの3つの異なる区画に20エーカーのシャルドネ、80エーカーのピノ・ノワールを植えました。
2005年の秋には新しいワイナリーの建設に着手しましたが、記録的な豪雨に見舞われ、何とか2007年の収穫には間に合うように完成しました。それぞれのワインはそのテロワールの個性を反映しています。
土壌、気候、標高、畑の向き、斜面の角度、さらに台木やクローンのセレクションが組み合わさり、これらの個性がワインに表れているのです。畑の標高は200メートルから500メートルの間です。土壌は“ゴールドリッジ”呼ばれる、昔海底であった砂のローム層で、非常に水はけがよく、ブドウの根が栄養を求めて深く伸びることができます。従って、いくつかの畑の区画では灌漑を行っていません。ブドウの樹の樹齢が高くなれば、将来的に全ての畑での灌漑をなくしたいと思っています。海からの冷たい空気によって、朝は霧が低くたち込め、午後太陽とともに暖かくなります。これがブドウの長い成長期間を作り出します。
涼しく湿気の多い気候において、ブドウの世話には繊細な管理が必要となります。フリーストーンの自然環境を守るために、畑ではオーガニックとバイオダイナミックスの農法を取り入れています。それにより、自然本来の畑の環境を保護し、さらには高める効果があります。

禁酒法廃止後2番目に公式承認されたナパのワイナリー、シャペレ

シャペレは1933年の禁酒法廃止後、ナパ・ヴァレーで2番目に公式承認された由緒ある家族経営のワイナリーです。1967年の設立以来、シャペレ・ファミリーによって40年以上に亘り、受け継がれてきました。
創設者ドン&モリー・シャペレは、ブドウを植える土地を探しにロサンゼルスからナパ・ヴァレーを訪れた際、伝説の醸造家アンドレ・チェリチェフから「質のよいワインを造りたいなら、ブドウは丘陵地に植えること」と助言を受け、そのアドバイスに適する場所を探します。1967年、ドンとモリーは、プリチャード・ヒルの地主で産地名の由来ともなるチャールズ・プリチャード氏と出会い、土地を譲り受けます。そしてプリチャード・ヒルの地で初めてワイン造りを始めました。今日では、2世代目がワイナリーの指揮を執り、ファミリーのスピリットを受け継ぎ、シャペレの名声を守り続けています。

【プリチャード・ヒルとシャペレの畑】
プリチャード・ヒルはラザフォードの東、128号線セージ・キャニオンロードを東へ上りつめた、ヘネシー湖を見下ろす小高い丘にあります。ヴァレー低地より30m高い、標高240-540mに位置し、一帯には岩だらけの水はけのよい火山性土壌が広がります。シャペレの自社畑はプリチャード・ヒルの北⻄と南⻄向き斜面にあり、40haの畑にカベルネ・ソーヴィニヨンを中心にメルロ、カベルネ・フラン、マルベック、プティ・ヴェルド、白品種はシュナン・ブラ ンが栽培されています。ブドウ栽培歴25年のキャリアをもつヴィンヤード・マネージャー、デイヴィッド・ピリオの指導のもと、シャペレでは有機農法を取り入れ、カバークロップや堆肥を畑に撒くなどして、土中の栄養分のバランスをとっています。 2012年、シャペレの自社畑はカリフォルニア州有機栽培農家 (CCOF: California Certified Organic Farmers)の認定を受けました。またワイナリーには大型太陽光パネルを設置し、自然エネルギーによって電力をまかなっています。

【醸造家フィリップ・タイタス】
醸造家フィリップ・タイタスは、UCデイヴィス校で栽培・醸造学を修めた後、ボルドーとブルゴーニュへ渡って経験を積み、1981年からアシスタント・ワインメーカーとしてシャペレに加わりました。その後一時期、シャペレを離れて他のワイナリーへ移りましたが、1990年、チーフ・ワインメーカーとして再びシャペレに戻り、現在アシスタント・ワインメーカーであるダニエル・ドッチャーとともに、さらなるクオリティの向上を追求しています。

オーパスワンの初ヴィンテージ携わった天才醸造家、ポール・ホブス

ポール・ホブスは1978年にナパ・ヴァレーのロバート・モンダヴィ・ワイナリーでワイン・メーカーとしてのキャリアをスタートしました。その後の25年間、彼はモンダヴィ、オーパス・ワン、ソノマ・カウンティにあるシミ・ワイナリーや、また醸造コンサルタントとしてチリやアルゼンチンでその技術と専門知識に磨きをかけました。この間、ポールはヨーロッパの主要ワイン産地を頻繁に訪れ、さらなる技術やアイデアを蓄積しました。ポールは1991年にカリフォルニアにポール・ホブズ・ワイナリーを、1999年にはアルゼンチンにヴィーニャ・コボスを、2000年にはカリフォルニアにクロスバーン・ワイナリーを設立しました。

11人兄弟の中で育ったポール・ホブスのブドウ畑に対する強い興味は、1969年ニューヨーク北部地方の彼の家族の農場に初めてブドウが植えられた時に芽生えました。それは彼の父親が、ポールがワイン醸造に携わる仕事をしたいという、強い気持ちに気が付いてまもなくのことで、父は直ぐにポールをそのプロジェクトの責任者にしました。ポールはノートルダム大学に通っている時に初めて世界のワインを経験しました。ある日、ポールはクリスチャン・ブラザースの前ワインメーカーでもあった当時の植物学の教授に、彼が毎週やっているワイン・ティスティング・セミナーに出席するよう勧められました。これがきっかけとなり、一生の仕事となるキャリアの情熱に火がついたのです。

1975年、彼はUCデイヴィス醸造学科の食物学の修士コースに入学しました。ヴェルノン・シングルトン教授の指導の下、オーク樽の熟成について書かれた彼の修士論文はカリフォルニアのプレミアム・ワイン・コミュニティーの人々の相当な注目を浴びました。

ロバート・モンダヴィは直ぐに彼を研究技術者として雇いました。しかし彼のゴールはワインを造ることでしたので、直ぐに技術者用の白衣とセラー係の作業着を交換しました。価値のある実地経験は見習い期間となり、1979年には醸造家へ昇進しました。その後、オーパス・ワン・チームに配属され1981年には醸造担当のヘッドになり、4年間その地位に留まりました。

1985年、ポールはソノマの歴史あるシミ・ワイナリーにアシスタント・ワインメーカーとして入社しました。彼に課せられた最初の仕事のひとつに新しいカベルネ・ソーヴィニョンのスタイル造りがありました。醸しや果実を丁寧にやさしく扱う事によりリッチでしなやかなワインを造り、雑誌やワインを買う一般消費者の注目を引きました。1989年には副社長兼ワインメーカーとなり、カリフォルニアのプレミアム・ワイナリーの醸造プログラムを指揮する最初の機会となりました。

彼は他のニューワールド・ワインのポテンシャルに興味を持ち、1988年にチリとアルゼンチンのワイン産地を巡り、そこでニコラス・カンテーナに出会いました。カンテーナは翌年の1989年にポールをメンドーサに招待し、アルゼンチン最初のワールド・クラス・シャルドネを造る新しいプロジェクトの担当をお願いしました。否応なしのチャレンジであったこの経験は、ポールにとって独立をする触媒となりました。

1991年、何人かのパートナーと共に、彼はポール・ホブス・ワイナリーを設立しました。このワイナリーは少量生産で手工芸的ワイン、ナパ・ヴァレーとソノマ・マウンテン、ロシアン・リヴァー・ヴァレーのシングル・ヴィンヤード・ワインを専門とするワイナリーです。ロシアン・リヴァー・ヴァレーには14エーカーのピノ・ノワールの自社畑リンゼイがあります。リンゼイ・ヴィンヤードでのワイナリー建設は2003年の収穫までに終了し、2006年の夏にはプライヴェート・ゲストハウスが完成しました。

1999年、ポールはパートナーであるアンドレア・マルキオリとルイス・バロードと共にアルゼンチンのメンドーサにヴィーニャ・コボス・ワイナリーを設立しました。このワイナリーではオールド・ヴァインで高く評価されているマルキオリ・ヴィンヤードのウルトラ・プレミアム・ワインを造ることを目的としています。ヴィーニャ・コボスの多くのワインは100%マルベックから造られるワインで、このマルベックはメンドーサ川流域の岩の多い水捌けの良い土壌で育ち、果実は驚くほど純粋な個性を表現しています。ヴィーニャ・コボスのデビューであった1999年コボス・マルベックは、国際的なワイン・コミュニティーの注目を引き起こし、その後も続くヴィーニャ・コボスのワールド・クラス・ワインの舞台を作り上げました。

2000年には小ロットのカベルネ・ソーヴィニョンからクロスバーンのブランドを立ち上げ、現在ではソノマに醸造設備を建設しクロスバーン・ワイナリーとして、若きワインメーカー、スコット・モリソンと共にシャルドネ、ピノ・ノワール、カベルネ・ソーヴィニョンを造っています。

ポールはナパ、ソノマ、アルゼンチン、チリ、ハンガリーの技巧的ワイナリーのコンサルティング・ワインメーカーとしても活躍しています。

2000年12月、「Connoisseurs’Guide to California Wine(コノサーズ・ガイド・トゥ・カリフォルニア・ワイン)」において「Winemaker of the year」に選ばれました。2004年には「The Quarterly Review of Wines(ザ・クオータリー・レヴュー・オブ・ワインズ)」に於いて「Most important winemaker in California(カリフォルニアの最も重要なワインメーカー)」に選ばれました。ポールの造るカリフォルニアとアルゼンチンのワインは評論家達から最高の称賛を受けています。